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歴史
ミュンスター市史概要
歴史的ハンザ都市の中心は、プリンツィパルマルクトにありました。中世の裕福な商人の邸宅や特徴的なアーケードのあるこのマルクトは、ドイツでもっとも美しいショッピング街のひとつと言われています。ランベルティ教会の塔には、三つの鉄かごが吊り下げられていますが、これは1530年代のいわゆる洗礼派運動でミュンスターを「新エルサレム」としたヤン・ファン・ライデンと同志達の流血事件の名残です。しかし街の中心はなんと言っても歴史的市庁舎です。
1648年に三十年戦争を終結すべくミュンスターとオズナブリュックの間でウェストファリア条約が締結されたのがこの市庁舎で、今日でも旧参事官室の平和の広間がヨーロッパ史上重要なこの出来事を記念しています。
すぐ隣のドーム広場には、700年ごろカール大帝がザクセンをキリスト教化したことを記念する聖パウロ大聖堂と聖堂宝物館が1200年を超える長い歴史を物語っています。その他、ナチス独裁に勇敢に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたフォン・ガーレン枢機卿の記念碑もここにあります。
1787年創建のバロック宮殿は当時領主司教の邸宅でしたが、今は約5万人の学生を抱えるドイツで最大規模のウェストファリア・ヴィルヘルム大学の管理部という行政部が置かれています。
ミュンスターは第二次世界大戦でほぼ全壊してしまいましたが、戦後市民の手で旧市街が忠実に昔どおりに復興されました。今日では、150万人の人口を抱える周辺地域の活気ある中心として、29万人の人口を持つ大都市に発展しました。今日のミュンスターはドイツでもっとも自転車にやさしい町という栄誉を受け、ヨーロッパ気候保護都市として二度表彰され、また世界でもっとも住みやすい町賞(2004年度国連LivCom賞)を受けるなど、国内外でよく話題に上ります。